Love Life
愛しい日々
愛のないセックスのように
思いつくすべてを試せるような
めくるめく快感はないけれど
愛する人とのセックスのように
なにもかもを出し尽くせるほど
絶対と言いたくなるような安らぎもないけれど
ただ繰り返されるだけのような
凪いだ生活を愛せるようになってきた
繰り返すだけの毎日を繰り返しに
また朝を迎えてる
そしてまた眠るんだ
また同じ明日を繰り返すために
また同じ人に会って
「おはよう」と「またね」でつなげてく
「好き」や「愛してる」を約束に変えて
また来る明日に今日を見てる
気づけばいつも同じ道の上を走ってしまっているように
そこに行けば安心がある
向こうからはやって来てはくれないけれど
そんなときは自分から行ってしまうんだ
ただ人を見てても飽きてしまう
ただ外を眺めていても疲れてしまう
夢見たようなきらびやかな世界じゃない
むしろ色褪せたような寂びれた景色だ
行きもしない来もしない
そこにあるとも主張しない
歓迎も声援も褒めてくれるわけでもない
でも変わらずいてくれる
きっと人だけじゃない
そこにあるすべてがそうなんだ
そこにいる人もモノも
すべてがあって初めて安心できる
そこにある景色すべてが
僕を包んでくれるんだ
もう見慣れてしまった失いかけのモノトーン
いつもの景色はいつもセピア色に染まってる
でも今はその景色にまた自分なりの色づけをしていくのが楽しいんだ
なにも塗らずに無色のままでもいい
また全部消してもいいんだ
- 2007年4月 7日 00:23
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それなり
見た目以上に冷たい地面
鉄のような煙を上げる道路
うろこのように黒茶けた樹皮
乾いてる
求めてる
そして飢えてる
必死になったことがない
がむしゃらに働いたこともない
あきらめるのも早い
そのくせ捨てることはできないでいる
歩くのが速い人には
ついていこうともしなかった
僕がやることはいつもそれなりで
人にはムダだと言われがちなこともやってきた
食えない道草を探しながら
遠いのか近いのかもわからないまわり道をした
でもそれはそれで
今の僕にそれなりの役には立ってると思う
誰かがそれをムダだと言ったって
僕にとってはそのすべてが今になっている
なにもかもがつながっている
つなげてくれる
たとえそれはもしかしたら自分にすら取るに足らないかもしれない
だけどなにか1つが欠けてしまってもダメなんだ
捨てきれない夢も破れた恋も
壊れた絆も色褪せてゆく想い出も
自分に自信が持てないでいるのは
きっと自分にもっと期待を抱いているからなんだ
それなりの自信じゃ不安なんだ
自信よりも自分がほしい
乾きを癒す水のように
それ自体は味気なくとも
自由に、そして果てしなく
無風の谷間
まるで部屋で吸っているように
煙草の煙がただ上へと立ち昇る
それも悪くない
- 2007年4月 5日 00:53
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五円玉の穴から見えた世界
新たな出逢いを受け入れるたび
その未来に待ち受ける傷
傷つくことで新たな出逢いがめぐるなら
今はそれも愛おしい
桃
日陰
三日月
そしてまた白い季節
人はそれを何で計るんだろう?
時間や涙、つながり、本能。
いろんなもので感じてる
価値観や経験、夢や希望。
同じもの、似たものを見つめる互いの瞳が映しだす狭い世界。
広い世界に生きながら、ひとにぎりの人だけを探そうとする
求めれば求めるほど
世界がどんどん小さくなってしまいそうで
入口だけを無理やり広げようとしてしまうんだ
ホントはガラスのように硬くてもろいのに
ホントは今にも壊れてしまいそうなのに
見た目だけ偽ることでそれをもっと強くした
ムダに歩きすぎてしまったみたいだ
時にそんなことを考えた
くたびれた道標すら見当たらないような場所
これまでだって矢印どおりに進んできたわけでもないけれど
それがないと不安になるんだ
それがあるから別の道を進めたんだと気づくんだ
それなら今から作ればいい
今までそんなときもあったじゃないか
道が世界のすべてじゃない
泣いてるばかりが子供じゃない
同じように傷や痛みに耐えること
それが僕らの証じゃない
- 2007年3月30日 02:22
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もう大人になったかな
「変わらないな」
人はそう言う
でも僕のなかでは
いろんなことが変わっていった
たくさんの人を笑わせ 泣かせた
僕も笑い そして泣いた
そんな気持ちに触れるたび
心の音が聞こえるたびに
僕はきっと成長してきた
変わらないなんて何1つない
「お子様だな」
人にそう言われ
「大人になれ」
自分にそう言い聞かせたこともあった
でも僕も年を重ね
人と同じだけ同じ時の上にいつづけてきた
見える範囲のすべてを見て
聞ける範囲のすべてを聞いた
そんな経験を重ねるたび
僕のなかで積もるたびに
僕は人を傷つけたろう
そして僕にも同じような傷がある
なにかを手に入れるたびに
なにかを捨ててきたんだろうか
なにかを犠牲にするたびに
なにかを求めて得てきただろうか
そんなことも考えられるようになったんだ
ただ泣くだけじゃなくて
ただ笑うだけでもなく
そこにある理由に気づくことができるようになったんだ
そして、それを求めるようにもなっている
もう子供のころより
ずっと大人だ
- 2007年3月29日 01:47
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焼ける唇
どんな顔をしてんだろう?
目を閉じて
また開けて
永いようで短い夜が明けてくように
そっと唇も開きかけて
まるで蜂蜜のようなその甘いやわらかさ
ほんの少し僕も濡らして
糸を引くほどの余韻だけを残して
また少しぬくもり重ねて
まるで花びらがひらりひらりと舞い降るように
少しずつその唇が移ろい揺れる
目を閉じて思い描けば
空気だけではひどく冷たい
その吐息や唇が燃えるように熱いから
唇がそっと離れていった瞬間
想い出までも消えてしまいそうで
その唇を見つめてしまう
触れてしまう
指でゆっくりなぞってしまう
それがすべてであるかのように
この唇になにを含んだ?
この歯はなにを噛んだ?
舌の上ではなにを上手に転がした?
ただ眺めているだけで
焼けるほどの唇で
- 2007年3月28日 08:03
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僕のなかの鎮座
せっかちな蜂
穏やかな花
麗しき景色
ここから見得る何もかもが
この手に取ることができるような
そんな不安に駆られるときがある
ホントはきっと見えないものを
手探りでもぎ取ろうとしてるだけなのに
動かぬものを拾い集めて
僕のなかに鎮座させる
そしてそれを見つめる日々
それを安心と僕は呼んでた
でも違う
不安とうまく付き合うことが
いろんなものを受け入れたり
些細なことを信じれたり
あらゆるものとぶつかり合ったり
僕のなかの消えないものと
この世界にひしめき合う見えないものを
ただ漠然と恐れることもなく
信じていける力にできる
そんな力ができる
になる
きっと今ある自分やこの世界は
今の僕にとって申し分ないものなんだ
そして僕はそこに生きてる
誰かの優しさが僕の横を素通りしても
きっと誰かの心には触れてるはずだから
- 2007年3月27日 02:02
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ドアを開けた向こう側
今までこれまでそれまで
過去の涙のどれよりも
今ある笑顔が大事なのかな
すべての傷や痛みを捨ててまで
手にした笑顔を抱きしめること
それが涙を力にかえる術なのかな
あのときの自分に今の自分は
どんなふうに映るのかな
笑ってくれるかな
過去を自分のなかから全部
消してしまえたらそれでも
泣きじゃくってしまうかな
あのとき抱えた自分のひざと傷と
その涙が消えてしまったことに
泪してしまうのかな
今までずっと途切れることなく
涙のあふれるその全部を
かき消すほどの笑顔かな
きっとその笑顔にも気づかないまま
その上を歩いて行ってしまうのかな
どの笑顔を守ればいいの
きっと今ある自分の
すべてを守ってあげればいいよ
笑顔も涙も過去も未来も
ドアを開ければ
その向こう側があるように
時には閉じてもいいんだよ
- 2007年3月26日 05:06
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親友という存在の距離
とはいえ、“友達”ってやつのとらえ方だって、人によっていろいろなんだろうなとも思ってる。
なんでも気兼ねなく話せて、なんら気を遣わなくてもいい相手。
いつもそばにいてくれる人。
笑い合える仲間。
つらいことも笑い飛ばせてしまえそうな関係。
最近思ったのさ。
ひと口に“親友”って言ったって、そんなもんは自分のなかのとらえ方1つがすべてじゃんて。
でも、みんながみんなそうじゃない。
それもまた自分のなかのある基準のもとに、そういう抽斗にしまってんのかなと。
そうじゃなきゃ、そう呼べる人と、そうじゃない人との違いがない。
じゃあ、そのときの気分次第で友達の区別もなくなるのかって言ったら、そうでもない。
もともと友達に区別なんてしてないって言ってしまえば、それはそれでカッコいいだろうと思う。
でもやっぱり、人間だからな。したくないことでも、やっぱし差別化はしてしまう。というより、したいんだろうと思う。
人間だれしも、自分のなかに不可侵な領域ってのを抱えてると思う。
それはきっと絶対的で、他人には踏み入り得ない場所。
自分のなかの、自分だけの“特別”が欲しいんだと思う。
で、おれがふと感じたのは、先に結論。指定代名詞とかもそのままだ。
その距離ってやつをお互いがわかった上で、その一定の距離を保ちながら、常にいる存在。
さて検証してみよう。
“友達”ってひと言だ。
じゃあ、“親友”もひと言だ。
でも、自分のなかや人のなかに浸透していく響きは、全然違う。
さっきも書いたけど、人それぞれにあるのが友達だと思う。
でも“親友”ってのは、きっと、なんとなくでも誰にとってもある程度の重みは伝わるんじゃないかな。意味とか細かいとらえ方は別にして。
なんでも話せるのが親友じゃない。
なんも気ぃ遣わなくていいのが親友でもない。
親友だから話せないこと、話さないことってある。
親友だから働いてしまう気遣いだってある。
親友だからこそ踏み込めないところがある。
だからって“友達”っていう響きや意味や存在が、かるいってわけじゃないんだな。
逆に友達から話せないことがあり、気遣いもあり、距離をおく場合もある。
でもそれは、きっと理解だとかお互いがとかじゃなくて、自分からそうしてるんじゃないかなと思うのよ。
自分がもうこれ以上は踏み込まれたくないって思った時点で、相手にもそうする。気を遣われたら気を遣ってしまう。
でも、知りたいと思ったことは知ろうとするだろうし、自分がしたいことは相手のことお構いなしでするんじゃないかと思うし、できるんだと思う。
まあ、乱暴な言い方をしてしまえば、それって自分自身への気遣いだと思うわけよ。
そのへんで、感じ入ることの多い親友っていうのは、きっと“お互い”っていうのがキーなんだろうと思う。
すべてが感覚で、なんとなく感じてることなのかもしれないけど、お互いに居心地のいい距離っていうのを保ったままでいけるんじゃないかと思うわけ。
“保てる”って言ってもいい。
だから簡単には崩れないんだろうし、そういう友達というか関係の人が自分にもいるっていう人じゃないと、その関係を理解できないんだろうなと。
まあ、恋人にしてもそうだけど、その関係は簡単に崩れるし、崩せる。しかも、時にはものすごい些細なことで。そのくせ修復するのはかなりムズい。
友達やってたやつとも、すぐに疎遠になれるし、なったところで特になんら気にもならなかったりする。
それはきっと、そこに欲があるからなんだろうな。
恋人ならそれ以上が常に欲しいだろうし、友達なら、変にもっと仲良くなれるかもとか目指してたり、どこまで気が合うのか無意識に試してたり、ついには飽きがきたりするんだろう。
なもんだから、常に自分自身との関係なんだと思う。
それを崩すも崩さないも、自分次第。
我慢できなくなれば壊せばいいし、忍耐できるまでは我慢しようとか感じるんじゃないかな。
距離というか、そういう欲というか、自分自身というか、そういう要素もろもろが複雑に一定でいられないんじゃないかなと。
かといってバランス保てとかそういうことでなく、自然とそういうふうになってしまう危うさと背中合わせってのか?
ちょっと自分のほうがテンション高いかなって感じてしまえば、相手にもそれと同じものか、それ以上を期待したり望んだりしてしまう。疎遠になったかなって感じれば、それは相手のほうが離れてったとか、自分の不安を人のせいにしてしまったり、つい共感や理解ってやつを押しつけてしまう。
本当に相手のことを大切に思えば、あえてをそれを壊そうとは思わないと思うわけ。
まあ、“壊してまでの想い”とあらば、それはそれで素敵ではあるけども、その情熱に乾杯ってだけだ。それで嬉しいのもいっときかな。
やっぱ人の大切さって決してそうではないと思うわけ。それもまた自分であって、きっとお互いではないと思うわけ。結果的にいいことになったとしても、ほかの部分でなにかしらの不具合が出てくるんじゃないかなと。
相手のなにかを壊してまで、自分との距離を縮めようとする。自分のなにかを壊すために、相手への理解を深める。
簡単かつシンプルに、そして乱暴なリアルさをもって言ってしまえば、“捨て駒”かな。
親友って、きっと、いいところはもちろんだけど、相手のヤな部分も見えてるんじゃないかなと思う。
“ごちそうさま”って引かれるぐらい褒めることもできれば、逆に、“そんなに嫌い?”っていうぐらいのものすごい些細な悪口まで言えると思う。賞賛も批判も、人一倍の知識でできるはず。
でも、そういうのも全部ひっくるめてなのか、そういう部分はお互いの距離の外に置いておけるぐらいの親密さなのか。
ただただ“受け入れられる存在”っつーのかなぁ~。
これ不思議なもんで、いったんその人のことを“親友”って口にしただけでも、自分のなかで全然違う。
その人のなんかが、自分のなかにスーッと染み込んでく感じ。「親友」って言葉を吐き出したにも関わらず、空気っぽくもあり、水っぽいなんかが、自分のなかで満たされてく気がする。
わりと、言葉にして外に出せるって、思いのほかすげぇことだと思うのよ。
ただ、“空気みたいな存在”ってのとは、また別だと思う。
きっと、いてもいなくてもいいんじゃないか。
どんなに暇なときでも必要じゃない。連絡しようとかも特に思わない。
でも、いるんだよな。
そこが、おれの一番感じるところ。そのへんの友達とか、そう簡単に見つかる存在じゃないっていう部分。
いなくてもなんら支障はないけど、いる存在。もうこの際“ある”って言ったほうがしっくりくるか。
モノとかいうとらえ方じゃなく、人とかいうことでもなく、存在っていう感じ方。
もう信仰に近いか。
信じる信じないもその人の自由で、それを信じたからって、これといったご利益があるわけでもない。
でも、なんとなく精神的にというか、心がというか、自分自身がより豊かになったような気がする感じ。
きっと、どんなにつらいことを話したり経験したところで、一緒に泣いてほしいとか共感してほしいとかいう期待はしないし、望んでもいない。理解してくれとも押しつけないだろう。
むしろ、もしそういう経験を共有したんなら、そのときはきっと、あとで一緒に笑うんだろうなとすら思える。
迫らず、離れず、強要せず。
絶対的ではない安心と距離を、人にしてはきっと、ものすごく難しいそういう距離を保てる距離。
どっちかが近づきすぎれば、自然と離れ、遠くへ行きすぎれば、また戻ってくる。
かといって、ありがちな比喩表現“漣”みたいな打ちっぱなしじゃなく、きっとそういう自然のなにかでたとえられない人工的な自然さ。
どっちかがそれをうまく調整するんじゃなくて、どちらともなく調整しつつ、距離を保つ。
やじろべえ。
あっちに傾きすぎれば、多少強引にでも力で引っ張るだろうし、こっちに傾きすぎれば、目一杯突き放しもするだろう。
そのへんの調整ができないで親友って呼び合ってても、きっとそのうち簡単に崩れる日がくると思う。というより、崩れたときに修復がきかなくなるだろうな。
さらには、そんな修復が必要になるぐらいの状態になること自体、それまでって気さえする。
“ケンカするほど仲がいい”のは、友達だ。
もしかすると、“親友”って呼び合えるのは、ずっとあとになってからなのかもしれない。
“あ、親友じゃね?”みたいな。
それまでに何かしらの理由で壊れてしまえば、そんなのは親友じゃなかったって気がする。きっと理由が必要になるのは違う。
なにかお互いの感覚的なものいろいろがうまいこと絡み合って、それでいて感覚的になにかとうまくいくのが親友なのかな。
なにをするにも度が過ぎない。もしあるとすれば、お互いがお互いに気持ちよくバカになれるときとか。
崩れない距離。壊れない加減。
きっとそれが親友であるための、いや、“ための”ってのは違うな。
それが親友であるお互いの支点かなと……
ほらきた。
“支点”
いいねぇ、きたねぇ、これ。
かなりしっくりきた。
だからいつも、なんとなくいつの間にかそこへ戻っていってしまうんだろうなと思うのよ。
で、そのとき“そういうときだけ連絡してきて”っていう言葉が出ないのが、きっと親友なのかなってな。
まあ、それはただ単におれにとって居心地のいい関係とか距離っていうだけかもしれんな。
“親友に言葉はいらぬ”なんていう歴史があるのに、感情論と頭でこんなこといちいち考えくさって親友面してられんのかな。頭で考えて出てくる親友っていうものに、どれだけの価値があんのかね、まったく。
たぶん、親友にもいろいろあるんだろうけど、きっとそうなるのって一瞬なんだろうな。
時間をかけてゆっくり熟成させた絆ってよりは、そう感じたあとで熟成させてく深さなんだろう。
恋愛と同じで、きっとその場で親友って感じた瞬間から、もうその人とは親友なんだと思う。
だから親友ってのもきっと、親友は親友であり、それ以上でもそれ以下でもない。
きっと、大なり小なりお互いのあいだに核となる何かがあって、それをお互いが、お互いの距離で共有しながら、あるんだろうなと。
そのくせ、親友なんて、あってないようなもんだ。そこに固執するもんでもねぇ。
核さえあれば、分裂はいくらでもできる。それらすべてがその核から生まれ出でた新たな核だ。
ああ、やべぇ……
キタ。
親友とは、“友情フレックス”也。
- 2007年3月23日 01:54
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愛は、命に宿る。
